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情けは人のためならず

 ドーキンスの”利己的遺伝子”を簡単に要約してしまうと、「生物は、己の遺伝子を遺すために生きている」である。重要なのは”個体”ではなく、”遺伝子”なのである。要するに、「昔霊魂、今遺伝子」なのである。「肉体は滅んでも遺伝子は遺る」で、なぜかと言えば、「遺伝子を遺すのが遺伝子の目的」だからである。「肉体は滅んでも魂は永遠」の、科学的根拠かもしれない。
 ドーキンスによれば、この遺伝子の”利己的”とは、「他を利することが自己を利することとイコールになっている」ということなのである。Aと言う人間がいてBという人間もいる。個体としてはAとBとで違うけれども、どっちにしても”ヒトの遺伝子”があることは共通で、AがBを生かすために死を選んでも、どっちにしろ助けられて生き残った方の中に”ヒトの遺伝子”が残るのはおんなじである。つまり、遺伝子とは、そのような働きかけを個体に対してするという点で、”利己的”なのである。こう言うといたってメンドくさい話のようだが、これは「情けは人のためならず」の生物学的証明である。
 最近じゃ間違って、これを「他人に同情するとその人をスポイルすることになってよくない」の意味だと誤解しているバカものも多いらしいが、これは「他人を利することは、めぐりめぐって自己を利することになる」という意味である。この格言のもとが仏教の思想であるのは間違いないが、イギリスは仏教国じゃないので、こういう格言を知らないのである。知らないからこそ、わざわざ「情けは人のためならず」の実効性を、アリとかハチを使って証明してくれて、しかもそのことにわざわざ「複雑なる利己主義」というレッテルを貼ってくれているのである。
 「不器用は発明の母」とは言わないが、「必要は発明の母」である。科学というのは、もしかしたら、仏教を知らないキリスト教徒のする”宗教によらない仏教へのアプローチ”なのかもしれない。同じイギリスの天才物理学者のS・W・ホーキングも、「理論的に、宇宙には始めも終わりもない」と、「天地創造の神様はいなくてもいい」ということを証明してくれているが、「仏はなにも作らない、ただ存在する」だけですませる不精な仏教徒は、絶対にこんなことをしないだろう。(ほめてんだか、けなしてんだか)

(橋本治「宗教なんかこわくない!」マドラ出版)


| 大森日記 | 21:49 | comments(0) | -
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